【河合奈保子】集めたグッズとデータブック~80年代アイドル河合奈保子の思い出~

1980年に「大きな森の小さなお家」でデビューした河合奈保子さん。

超絶かわいらしいルックス、大きな声ではっきりと「ハイ!」と受け答えする素直な性格、太陽のような笑顔が魅力的で好感度が高く、男女問わず支持された人気アイドルでした。

結婚、出産を経て、現在はオーストラリアで幸せに暮らしていることと思います。

2016年にアイドル雑誌「平凡」の写真を再編した写真集「再会の夏」が発売された辺りから、毎年のようにDVDやCD、電子書籍などが発売され、コロムビアの河合奈保子特設ファンサイトが立ち上がるなど、現在でも高い人気ぶりが伺えます。

活動休止後、公の場に出てくることはほとんどありませんが、2008年の竹内まりやさんのブログにて元気そうな姿を見ることが出来たり、直近では2018年11月25日(日)NHK-FMで放送されたラジオ番組「今日は一日竹内まりや三昧」で久しぶりに河合奈保子さんの声を聴くことができ、河合奈保子さんの大ファンの私は思わず感涙。

河合奈保子さんがデビューしたのは、私が小学6年生の頃。

河合奈保子さんにメッチャハマりました!

それ以来、河合奈保子さんのレコードを買うのはもちろん、雑誌の切り抜き、グッズなどを集めまくり、河合奈保子さんのデータを集めたノートを作ったり、学校でも「河合奈保子ちゃんが好き!」と公言して、クラスメートからも河合奈保子ちゃん関連のモノをもらったりしていました。

私の部屋は河合奈保子さんで溢れかえっていましたが、今では諸々親に処分されてしまい、半分ぐらいはもう手元にありません。

ここでは、現在残っている河合奈保子グッズの紹介や河合奈保子さんのことが大好きだった当時の暮らしぶりについて書いてみたいと思います。

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河合奈保子グッズ

お店で買った河合奈保子グッズ

文房具屋さんや雑貨屋さんでは、缶ペンケース、ステッカー、パウチされたプロマイドなどを買いました。

缶ペンケースは、キラキラした銀色のケースにNAOKOと書かれたものと、黒のケースに白字で河合奈保子と書かれたものを持っていました。

残念ながらこれはもうありません。

ステッカーとプロマイドは残っています。

小学生の頃は、こういった缶ペンケースの蓋の裏に河合奈保子ちゃんのシールを貼っていました。

中学生になると、さすがにタレント名があからさまに表記してある缶ペンケースを使う事が恥ずかしくなって、当たり障りのない缶ペンケースを使っていましたが、蓋の裏には河合奈保子さんのシールを貼り付けていました。

ただ、校則で学校の持ち物にシールを貼ることは禁止で、時々持ち物チェックがあったので、そういったチェックのある時にシールを外せるように、車に付ける初心者マークのマグネットにシールを貼り、シールの形に沿ってカッターで切ったものを缶ペンケースにくっつけていました。

あと、河合奈保子と書かれたシャープペンも持っていましたが、それはボロボロになって、きっと自分で処分したと思います。

下敷きは、小学生の時は「河合奈保子」と書かれたモノを使っていました。

中学生になったら紙をはさめる透明な下敷きが流行り、これに河合奈保子さんの切り抜きを入れていました。

当時の下敷きと、それに挟み込んでいた切り抜きが残っていました。

河合奈保子のポスター~壁から天井までビッシリと~

切り抜きが増えてくるとポスターを作りたくなり、学校の発表等で使う大きな模造紙を近所の文房具屋さんで買ってきて、そこに雑誌の切り抜きなどを隙間なく貼って行きました。

これに貼ったのは基本的に細かい切り抜きばかりで、完成するまで何日もかかり、時には友達を電話で呼び出し無理矢理手伝ってもらいました。

その後、河合奈保子ちゃんのシングル・LPレコードを買うようになり、予約すると大体ポスターをもらえたので、必ず予約して買っていました。

時には店頭に貼ってある宣伝用のポスターもレコード屋さんのおじさんに頼んで広告期間終了後にもらっていました。

壁から天井まで、びっしりと河合奈保子さんのポスターやピンナップを貼っていましたが、終いには部屋に貼り切れないぐらいの量になって、貼り切れないポスターはクルクル巻いて、たばこのセブンスター柄の円柱型のゴミ箱をポスター入れにしていました。

どんなポスターを貼り、どんな宣伝用のポスターをもらったのか、もう記憶に薄いですが、はっきり覚えているものもいくつかあります。

まず、水着のポスター。

私は水着のポスターは貼らないと決めていました。

それは、私にとって河合奈保子さんは特別な存在なので、いやらしい目で見てはいけないと決めていたということと、私の家には頻繁に友達が遊びに来ていたので、河合奈保子さんをいやらしい目で見て欲しくないという理由から。

でも、水着のポスターでもいやらしさを感じさせない美しいショットの写真があって、それに関しては、少しの期間だけ部屋に貼りました。

一つはアルバム「サマー・ヒロイン」の予約特典のもの、もう一つは何の特典だったか忘れましたが、白と赤のストライプのビキニを着てシャワーを浴びているものでした。

LPレコードの予約特典でもらったポスターで絵柄をパッと思い出せるのは、「NAOKO IN CONCERT」「あるばむ」「ANGEL」「PRISM」ぐらいかな…

何のポスターだか覚えていませんが、白いパンツと白いサマーセーターみたいのを着て庭園のようなところで佇むカッコいい河合奈保子さんのポスターも貼っていた気もします。

部屋のドアには、下のような絵柄の大型ポスターを貼り、それを縁取るように、近所の仕立て屋さん作ってもらった「NAOKO」と刺繍された真っ赤なハチマキを貼り付けていました。

「奈保子」と刺繍された赤いハチマキも持っていて、部屋に飾ってあったキツネのぬいぐるみの頭に巻き付けていましたが、これらのハチマキも処分されてしまいました。

サイン色紙は無事残っていました。

ベッド脇の壁には、下のポスターを貼っていました。

多分これは中一時代、中一コースみたいな雑誌の付録だったと思います。

レコードの予約特典でもらったカレンダーも年度に関係なく、ずっとベッド脇の壁に貼っていました。

レコードに付いている応募券で応募して当たった赤いバンダナと白いハンカチもベッド脇の壁に貼っていましたが、赤いバンダナはもうありません。

その他、雑誌に折りたたんで付属していたピンナップも部屋のあちらこちらに貼っていました。

私の部屋には赤いブラウン管テレビがあり、そのテレビの側面には以下のカードを貼っていました。

勉強机は、緑のマットを敷いて、その上にガラス板が置いてありましたが、ここにもたくさんの河合奈保子さんの切り抜きなどを挟んでいました。

どんなものを挟んでいたのかよく覚えていませんが、以下の切り抜きは挟んでいたことを覚えています。

新居にも貼っていましたが、幼い娘に落書きされてしまいました。

あと、よくレコード屋さんに置いてあった予約カードも机に挟んだり壁に貼り付けたりしていました。

とにかく河合奈保子さんが写っているモノでもらえるものは何でももらってきました。

本棚には「わたぼうし翔んだ」「夢・17歳・愛」「あしたのナオコちゃん」等も飾っていましたが、これらの本は処分されてしまいました。

でも、写真集一冊は残っていて、「あしたのナオコちゃん」は1冊買いなおしました。

自作の河合奈保子データブック(情報ノート)

当時、河合奈保子さんに関するオリジナルのモノを作りたくて、ノートに雑誌の切り抜きを貼ったりデータを書き込んだりしていました。

これがそのノート。

ここに書き込んだ内容をちょっとだけ紹介します。

河合奈保子 パーソナルデータ

以下は、河合奈保子さんが「ヤング・ボーイ」を歌っている頃の雑誌に書かれていたものです。

本名

河合奈保子(かわい なほこ)。

すなおな子に育つようにと命名された。

身長等

  • 身長 159㎝
  • 血液型 O型
  • 靴のサイズ 23・5㎝
  • 視力 両眼共に0.08
  • 洋服のサイズ 9号
  • 水着のサイズ 11号
  • ホクロ 背中や首筋にある

生まれた時

体重は2400グラムだったが、内臓がしっかりしているという事で、未熟児扱いはされなかった。

家族

両親、3歳下の妹の4人家族。

お父さんはビールの晩酌を欠かさない印刷関係のサラリーマン。

お母さんの得意料理はハンバーグ。ポイントは食パンを手でちぎったものを入れること。

クラブ活動

中学の時はフォークソングクラブ、高校の時はマンドリンクラブ。

ギターを始めたきっかけは、小学生の頃、親戚のお姉ちゃんに教えてもらったこと。

引っ越し

お父さんの仕事の関係で、小学校に行くまでは大阪と東京(世田谷区)で何度か移り住んだ。

小学生の頃の夢

小学校に入って正式にピアノを習い始め、小学1年生のクリスマスにピアノを買ってもらってピアノが大好きになったので、ピアノの先生になりたかった。

小学生の頃の病気

小学校に入学して間もなく、原因不明の湿疹ができ、入院したが、極度の緊張のせいではないかと医者に言われた。

特技

マンドリン、ピアノ、珠算2級、暗算3級。

小学2年の時、書道の硬筆作品展で特選をうけた。

スポーツ

しいていえばバトミントン。水泳は特訓を受けたがダメだった。

ニックネーム

「ナオ」

話をしながら髪をなでること。

印象深い映画

「人間の証明」

(新婚旅行で)行きたいところ

アメリカのディズニーランド

最近悲しかったこと

長年飼っていたインコのピーコが死んだこと。

最近怒りを覚えたこと

仕事の行き帰りに暴走族が付いて回ること。「周りにも迷惑がかかるのでやめてください!」と奈保子さん。

現在のレギュラー番組

テレビ朝日系「子供おはなし劇場」の解説役

芸能界に入ってからの話

上京

1980年3月31日に上京し、事務所の専務の家に居候することになった。

その後デビューした子もここに住むようになったが、河合奈保子さんは、その第1号だった。

コンサートでのアクシデント

河合奈保子さんが18歳の時のスプリングコンサート(神戸)で、ファンの投げた紙テープが左目と喉に直撃し、その後しばらく声が出なくなるというアクシデントがあった。

なかよしアイドル

同じ大阪出身という事もあり、柏原よしえさん。

お互いに「ナオナオ」「ヨシヨシ」と呼んでいた。

入院関係

1981年10月にリハ中の事故により、腰椎圧迫骨折で入院していた河合奈保子さんのベッド脇の棚には、お気に入りのコミックス「Dr.スランプ」や「小さな恋の物語」等を置いていた。

腰のコルセットは約5か月付けていた。

入院時、妹が急病のため動きの取れないお母さんに変わって、河合奈保子さんのバックバンドでキーボーディストの神林氏の奥さん、名里(めいり)さんがコルセットの付け替え等、色々お世話をしてくれた。

神林名里さんは、1982年4月より奈保子ちゃんの正式なマネージャーとなった。

退院後のリハビリの1つとして、うつぶせになって状態をグイーンと上にそらす「逆エビゾリ体操」をやっていた。骨折箇所に良い体操らしい。

バックコーラス

のぶさん、ゆっこさん、くみさんの3人の女性(ユニット名 マキシム)がコンサートの時のバックコーラスを担当。

シングル「ムーンライト・キッス」の時は、一緒にカスタネットをカチカチ叩いて、振りの練習をした。

シングル「エスカレーション」の頃の髪型について

渋谷のスーパーヘア「コイケ」で髪をバッサリ切り、前髪に少しパーマをかけ、襟元を大胆にすいた。

髪を切った理由は、①20歳になるので、②新曲「エスカレーション」が発売されるので気分転換として、③夏に備えてすっきりしたいから…

髪を切るまでかなり悩み、ヘアの本、中学時代にショートカットだった頃のアルバムを見ながら、研究に研究を重ね、振り付けの先生、ディレクター、マネージャー、スタッフの一人一人に相談を持ち掛けた。

アルバム「デイドリーム・コースト」のレコーディング

いつものレコーディングは、出来上がったカラオケテープに歌を吹き込んでおしまいという感じだが、アルバム「デイドリーム・コースト」のレコーディングの時は、TOTOのメンバーがリズム録りをするところから立ち会うことが出来た。

河合奈保子のいた80年代と河合奈保子(命)部屋の暮らし

河合奈保子(命)部屋で考えていたこと

私がアイドルを意識し始めたのは、天地真理さんや麻丘めぐみさん辺りからで、その後、ピンク・レディーのミーちゃん、コメットさんを見て大場久美子さんが好きになりました。

でも、この頃は「好きな女性のタイプは?」って聞かれたら必ず

銀河鉄道999のメーテル!!

なんて答えるお子ちゃまでした。

それを覆したのが河合奈保子さん。

リアルな女性芸能人に本気で恋してしまいました。

それ以来、いつも河合奈保子さんのことを考えていました。

どんなことを考えていたのかというと、

  • どうしたら奈保子ちゃんと結婚できるんだろう?
  • 集めた奈保子ちゃんグッズをどこに飾ろう?
  • 奈保子ちゃんのコンサートにはどうやったら行けるんだろう?
  • 予約したアルバムはどんな曲が入っているんだろう?

などなど…

河合奈保子さんのことを好きになってから、色々なものを集め、山のようにあったポスターは壁から天井までほぼ隙間なく貼りました。

親からは「物凄く圧迫感がある」とか、遊びに来る友達からは、

お前の部屋、奈保子の館じゃん!

なんて言われるようになり…

久しぶりに実家の自分の部屋に行って天井を見たら、両面テープの後など長年ポスターを貼っていた痕跡が残っていました。

壁全面にポスターを貼っていたので、よくお母さんから

上の襖が開けづらい!

って怒られました💦

窓の上の桟(さん)のところには、河合奈保子さんのLPレコードを飾っていたので、ちょっとレコードがゆがんだかも(;^ω^)

学校で河合奈保子の話は出来ず、文通を始める

小学校を卒業する時にクラスメートに回したサイン帳には河合奈保子さんのシールを貼りました。

これは中学生の時の生徒手帳。

生徒手帳に書いたのは河合奈保子さんのことばかり。

でも、クラスメイトには私と同じいぐらい河合奈保子さんのことが大好きという人はいなかったので、学校で河合奈保子さんの話をすることはあんまりありませんでした。

今ならSNSなどで河合奈保子さんのことが好きな人を探して会話もできますが、当時はそういう手段がなかったので、河合奈保子さんのことが好きな人を文通募集欄で探して、文通相手と河合奈保子さんの話をしていました。

一度だけ見た河合奈保子と河合奈保子に近づくためにやったこと

私は河合奈保子さんのコンサートに一度も行った事がありません。

小中学生の頃は、コンサートってお兄さんやお姉さんが行くものと思い込んでいて、そもそもどうやってチケットを買ったらいいかも分かりませんでした。

ただ、一度だけ生で河合奈保子さんを見たことがあります。

それは、当時TVで放送されていた「それは秘密です」という番組の観覧席。

番組の公開録画が近所の市民会館であることを知って観覧希望に応募したところ、運よく当たりました。

会場では、親衛隊に入ってもいないのに作った「NAOKO」刺繍した赤いハチマキを頭に巻いて「愛をください」を歌う河合奈保子さんに声援を送りました。

高校生ぐらいまでは、

河合奈保子さんと結婚したい!

なんて真剣に思っていて、そのためには芸能界に入らないと接点ないと思い、色々なオーディションに応募しました。

覚えている範囲では、キティフィルムの「ションベン・ライダー」という映画の出演者募集、フジテレビ「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の普通の子オーディション、フジテレビ「夕やけニャンニャン」が始まる前の女子高生募集に男なのに応募してみたり…

結局、どれもダメで芸能界入りも河合奈保子さんとの結婚も諦めたのでした。

まとめ

河合奈保子さんはその後、アイドルからアーティストの道を歩み、私も大人になって来て生活パターンや音楽の趣向等が変化してきたこともあり、少しずつ河合奈保子さんから離れていきました。

しかし、2007年に発売されたオリジナルアルバムBOX「NAOKO PREMIUM」を購入し、改めて河合奈保子さんの音楽を全て聴いた頃から、熱い想いを思い出したり、当時とは違った発見があったりで、河合奈保子さんへの情熱が再燃しました。

情熱と言っても当時とは形の違う静かな情熱ですが、ずっと河合奈保子さんのことは想い続けています。

友達や家族にも言ってませんが、河合奈保子さんのことが好きになった小学生の時からアラフィフの現在まで、毎晩寝る前に、

河合奈保子さん、おやすみなさい

これからも応援するから頑張ってね!よろしくお願いします!!

なんて言ってます(≧◇≦)

当時、河合奈保子さんのレコードを買うために通った近所のレコード屋さんもなくなり、ハチマキを作ってもらった仕立て屋さんも近々店を閉めると言っていたので、最後にもう一度「奈保子」と刺繍したハチマキを作ってもらおうかと画策中です。

今後、河合奈保子さんが表舞台に出ようが出まいが、ずっと応援していこうと思っています。

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