昭和のアイドルを語る時、80年代アイドルがよく引き合いに出されますが、その誰よりも70年代後半に活躍したピンク・レディーの人気は凄まじく、異様でした。ピンク・レディーの活動期間は1976年~1981年で、ピンク・レディー旋風が吹き荒れたのはその内の約2年間。
私もピンク・レディーが大好きで、クラスの友達と新曲が出るたびに振り付けを覚えてマネしてたんですが、今振り返ってみると、ピンク・レディーって何だったんだろうって思う時があります。
ここでは、ピンク・レディーのデビューから人気の衰退までの様子を、私がリアルタイムで見ていて感じたことなどを絡めながら書いてみたい思います。
ピンク・レディー現象を振り返って~斬新な楽曲&振り付け~
衝撃的なデビュー曲「ペッパー警部」
「あなたの言葉が注射のように~🎶」股をパカパカ…
デビュー曲「ペッパー警部」の歌唱シーンを見た時、曲がどうこうというよりも、この衝撃的な振り付けに釘づけ。水着や下着のような衣装を着て超刺激的なアクションをするピンク・レディーを見て、小学校低学年だった私は性に目覚めていったような気がします。
当時はミーちゃん推し。見た目がタイプっていうこともあったんですけど、ダイナミックな動きの中にしなやかさ、滑らかさがあって、ケイちゃんとは違うこだわりみたいな動きにも惹かれました。
「ペッパー警部」の振付けは親から見るとイヤラシイ。こんなの子どもに悪影響を与えるみたいな風潮が合って、大人の間では賛否両論ありました。でも、人気が高まるにつれ、ピンクレディーは誰からも愛される国民的アイドルになって行きました。
ピンク・レディーの音楽と社会現象
ピンク・レディーってなんでそんなに人気があったのか?
それは全てが新しかったから。マネしたくなるような振付け、心を揺さぶるリズム、ドラマのような面白い歌詞。もちろんこれまでの昭和歌謡にもそういった曲はありましたけど、1曲の中にこれらの要素が全部入ってるものってなかったんですよね。しかもミー&ケイはとっても可愛らしいし。あと、シングル曲をリリースするたびに前の曲とは全く違っていて、毎回新鮮。そういったコンセプトが子ども心を鷲摑みにしました。ヒット商品って子ども人気から火が付くって言いますよね。ピンク・レディーは正にそれ。ピンク・レディーを見ていると、遊園地に遊びに行ったような非日常の楽しさみたいなものを感じることが出来ました。
同時期に活躍した沢田研二さんもピンク・レディーみたいに曲ごとに違ったコンセプトで楽しませてくれていたので人気がありましたね。
この時期のトップ女性アイドルというと山口百恵さんやキャンディーズがいましたが、ピンク・レディーの人気が爆発していた頃はもうどちらも大人路線のお姉さんといった雰囲気で、ピンク・レディーと競合する感じではなかったです。
新しいものってなかなか受け入れがたい部分もあって、冒頭でお話ししたように賛否もありましたが、それは早い段階で世間に認められ、ピンク・レディーは歌番組のみならず、CMにも多数出演。冠番組も持つようになり、ピンク・レディーをテレビで見ない日はないと言っても過言でないぐらい人気ぶりでした。
ちなみに私が一番印象に残ってるピンク・レディーのCMはアイスの「宝石箱」。アイスの中にキラキラした宝石のような粒が入っていて、バックには「モンスター」のB面曲「キャッチ・リップ」が流れていました。だから、この曲も大好き。アイスとしては値段が高かったので、それほど買ってもらえなかったような…。
ピンク・レディーの栄光の軌跡を描いた「ピンク・レディー物語」というアニメもあって、それも毎週見てました。ミー&ケイの声が本人じゃなかったからちょっと違和感はありましたけど。
あと、毎週見ていた水谷豊さんの主演ドラマ「熱中時代」で、生徒がピンク・レディーの「透明人間」を振り付けを北野先生(水谷豊)に教えるなんて場面もあったりして、なんかリアルに小学生を描いてるなーって思って見てました。
こうしたピンク・レディー人気にあやかって、文房具、おもちゃ、自転車など様々なピンク・レディー関連商品が発売され、街中にピンク・レディーが溢れてかえっていました。
ピンク・レディーのレコードの思い出
初めて買ったピンク・レディーのシングルレコードは「カルメン’77」。
イントロで見せる無表情なマリオネットのような動きと、「○○です!」という語感とキレのある歌い方、サビは哀愁歌謡のメロディー、そして体が揺さぶられるような独特のリズムなど、衝撃的な曲でした。それから「ピンク・タイフーン」辺りまでシングルレコードを買い続けました。
「UFO」のレコードは2枚持ってます。聴く用、保存用とかじゃないですよ。自分で買った後、近所の親しくしていたおばさんにクリスマスプレゼントでくれたんです。同じレコードを2枚持つなんて….何とも言えない不思議な気分でした。
私が初めて買ったアイドルのアルバムがピンク・レディーのベスト盤LP「ベストヒット・アルバム ピンク・レディー」。
小学生の頃、夏休みや冬休みに父の仕事の手伝いをするとお小遣いをもらえたので、そのお金で買いました。このアルバムには購入しなかったシングル「ペッパー警部」「S.O.S」「カメレオン・アーミー」が収録されていて、お気に入りのレコードでした。
この中で一番好きだったのは「ドラゴン」という曲。ちょうど買わなかった「カメレオン・アーミー」のB面の曲です。ブルース・リー主演の映画「燃えよ!ドラゴン」をイメージして作ったのかな?格闘映画のオープニングのようなイントロで始まり、耳をつんざくホーンセクション、小気味のいいエレキギターのストロークなど、カッコよくてシビレます。
ピンク・レディーのブームの終焉
ピンク・レディーをずっと見てきて、その人気に陰りが出始めたと思ったのは、「ジパング」辺りから。ピンク・レディーらしい曲と言えばそうなんですけど、新曲の度に感じた新鮮さっていうものが薄くて、もうネタ切れか?なんて思って、これまで買い続けていたピンク・レディーのレコードをここで一旦止めました。
でも、次の「ピンク・タイフーン」はカッコよくて、ノリのいいマイナー調(悲しげな曲調)のメロディー、「1・2・3!1・2・3!1・2・3!ウッ!!」という掛け声が楽しい。だから買いました。次の「波乗りパーイレーツ」は「ジパング」同様のインパクトの薄さを感じ、買いませんでした。
この頃は、YMOによるテクノミュージック、サザンオールスターズ、世良公則&ツイスト、ゴダイゴ、八神純子さんといった、これまでの歌謡曲とは違う感覚のニューミュージックが流行り出して来た時期でもあり、世間の目は興味はそちらへ向かっていたし、私もそうでした。
そして80年代アイドルブームが到来。ピンク・レディーはアダルト路線になり、これまでピンク・レディーを支えていた子どもたちの興味は薄れ、人気は下降。徐々にテレビでピンク・レディーを目にする機会も少なくなり、後楽園球場での解散コンサートをもってその活動は終焉を迎えました。
まとめ
ピンク・レディーを振り返ってみようと思った時、変わった曲調と激しい振り付けを思い出し、「ピンク・レディーって、そもそもアイドルだったのかな?」ってちょっと疑問を抱きました。初めて好きになったアイドルは麻丘めぐみさんだったんですけど、そういったアイドルとは全く違うし。だから、当時はあんまりアイドルとかそういう意識を持って見てなかったのかもしれません。
でも、動画サイトでヒット曲を歌うピンク・レディーを久々に見てみたら、やっぱりピンク・レディーってアイドルですね。かわいいし、楽しいし、見てると元気が出るし。キラキラとしたピンク・レディーを見ていると小学生の頃の楽しかった思い出がアレコレ浮かんできます。
またいつかピンク・レディーのようなプロ集団による総合エンターティナーアイドルを見てみたいものです。
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