12月24日(日)0:45~2:45という長時間に渡って、NHK BSプレミアムで「洋楽倶楽部 ザ・リッチー・ブラックモア ストーリー on NHK」が放送されました。
忙しい時期の深夜の放送だったので、見逃してしまった方も多かったのではないでしょうか?
私も危うく見逃すところでしたが、ギリギリ間に合ったので、リアルタイムで全編を見ました。
これまで、DEEP PURPLEやRAINBOWなどに生じた事件等は、雑誌のインタビューや噂で語り継がれてきましたが、この番組では、これらに関して、リッチーブラックモア本人が語っていました。
とても興味深く、面白い内容だったので、大まかな内容と印象に残った場面を書き留めておこうと思います。
NHK BS リッチーブラックモア特集の内容とリッチーが語ったこと
NHK BS リッチーブラックモアの特集番組構成
この番組は、3部構成になっていて、その合間合間に、音楽評論家の伊藤政則さんと、音楽雑誌BURRN!の編集長である広瀬和生さんが、番組進行の役割を担いながら、当時の思い出や秘話などを語っていました。
(第一部)
リッチーブラックモアの幼少期から第2期DEEP PURPLEの終焉まで
(第2部)
デヴィッド・カヴァーデールが加入した第3期DEEP PURPLEからRAINBOWの終焉まで
(第3部)
DEEP PURPLE再結成からブラックモアズ・ナイトまで
大まかな構成は、リッチーブラックモア本人が、軽くお酒を飲みながらリラックスした状態でインタビューに答えるのを主軸としながら、ナレーションによる解説、ジョン・ロード、ロジャー・グローヴァー、デヴィッド・カヴァーデイル、グレン・ヒューズ、グラハム・ボネット、ジョーリン・ターナーといったかつてのメンバーや、スティーヴ・ルカサー(TOTO)、ブライアン・メイ(クイーン)、ジョー・サトリアーニ、ジーン・シモンズ(KISS)、スティーヴ・ヴァイ、ラーズ・ウルリッヒ(メタリカ)、フィル・コリン(デフ・レパード)、イアン・アンダーソン(ジェスロ・タル)といった面々が、リッチーブラックモアについて語っています。
この放送の本編部分は、既に発売されているDVD「ザ・リッチー・ブラックモア・ストーリー」と同じものと思われますが、伊藤正則さんと広瀬和生さんによる現時点でのRAINBOWに関する話や、ロニーロメロのインタビューなどが、この番組では追加されています。
第1部
第1部は、リッチーブラックモアの幼少期の写真と話で始まります。
第1部の映像で印象的だったのは、テレビ番組のライブでリッチーブラックモアが速弾きするシーン。
カリカリのエッジの効いた音で、正確、かつ速弾き一辺倒ではないジェットコースターのように緩急をつけたそのフレージングには圧倒されました。
あと、「Smoke on the water」ができるきっかけとなった、レコーディング会場となる予定だったカジノが燃え盛るシーン。
レコーディング前日、ここではフランク・ザッパのライブが行われていて、そのライブの最中に火災が発生したようですが、どんな様子だったのか気になりました。
リッチーブラックモアの語った内容について、印象に残った部分を以下に書き出しておきます。
「イギリスでロバートプラント(ZEP)の声を聞いた時、自分のバンドにも大声で歌えるやつを入れないとダメだと思った。そしてイアン・ギランに出会った。スクリーミングがやつのアイデンティティーだ。」
「早さ(速弾き)にこだわった時期があったが、今は何の意味もない。」
「ジョン・ロードはオーケストラとの共演を望んだが、俺は嫌だった。サバスやZEPのようなハードロックスタイルにしたかった。」
「ハイウェイスターのソロは自宅で作り込んだ。普段はジャムりながら作るのだが、こういう事をしたのは初めてだった。」
関係者のインタビューでは以下の話が印象的でした。
「彼は、ただ速く弾くだけでなく、音と音の隙間の価値を分かっている。音を切る間が音そのものと同じぐらい重要なんだ。」(イアン・アンダーソン「ジェスロ・タル」)
あと、スティーブ・ルカサーが「Smoke on the water」のリフを、シンプルであることの重要さと素晴らしさを語っていました。
この第1部の一番の肝は、リッチーブラックモアがアコースティックギター片手にBlack Nightの誕生について語るシーンだと思います。
アイディアはリッキー・ネルソンの「サマー・タイム」で、このベースのフレーズにヴァースを加えて…と語りながらフレーズを弾いていましたが、全く同じフレーズで、完全なるパクリ?という感じでした。
後で、リッキー・ネルソンの「サマー・タイム」を動画サイトで確認してみましたが、完全に同じフレーズでした💦
この他にも、リッチーブラックモアが好んで聞いていた音楽を辿って行くと、その原点があちらこちらで垣間見えるかもしれませんね。
最後は、リッチーブラックモアがイアン・ギランとの確執について語っています。
お互いに仕切りたがるのでソリが合わないこと、同じ部屋にいても会話がない、そのせいでクリエイティブな気分になれない等々。
不仲を決定づけたのは、ライブ・イン・ジャパンの帰りの飛行機内で、リッチーブラックモアはイアン・ギランと歌い方についての口論となり、イアン・ギランは「お前の望むような歌い方をする」と言ったのに対し、リッチーブラックモアは「じゃあ、ブルースみたいに歌うなよ!」と言ったことで、そこから関係が悪化して行ったとリッチーブラックモアは語っていました。
イアン・ギランがバンドをクビになる時、ベースのロジャー・クローバーも一緒に辞めることになりましたが、伊藤&広瀬さんの会話では、ロジャーは何の問題もなかったが、どうせボーカルも変えるならついでにベースもみたいな雰囲気だったのではないか、「なんで俺は止めなきゃいけないの?」とロジャーは相当ショックだったらしいということが語られていました。
第1部の最後にDEEP PURPLEがイギリスのテレビ番組で演奏するシーンが流れましたが、リッチーブラックモアはかなり細めのやんちゃ坊主といった感じで、アルカトラスの頃のイングヴェイ・マルムスティーンを見ているようでした。
第2部
ここでは、第3期DEEP PURPLEの部分という事もあり、デヴィッド・カヴァーデールとグレン・ヒューズのインタビューが所々に挟まれていました。
デヴィッド・カヴァーデールは、限度を知らないリッチーブラックモアのイタズラの話、グレン・ヒューズはリッチーブラックモアが勝手にRAINBOWを結成しレコーディングまでしたことを全く知らなかった等々。
リッチーブラックモアは、デヴィッド・カヴァーデールの加入については反対、グレン・ヒューズの加入については好意的だったようで、彼らの事は以下のように語っていました。
「新しいボーカリストはイアン・ギランのような女を熱狂させるタイプでないといけないと思っていたが、デヴィッドはスタッフからかわいいと思われていた。」
「グレンのベースはファンキーでリズミック。活気があった。」
その後、1974年に行われたカリフォルニア・ジャム・フェスティバルの模様が映し出されます。
数十万人の観客で覆いつくされた会場は、見たこともないような異様な光景でした。
リッチーブラックモアは、時間や出演順など予定通りに進まないフェスが大嫌いだったようで、一度は出演依頼を断ったものの、条件付きで了承したことを話していました。
その条件とは、日暮れ(21時ごろ)に出演すること。
会場のライティングを使用する時間にこだわったのは、ライティングにはそのバンドを好きにさせるという潜在的心理に働きかける効果があると、リッチーブラックモアは考えていたようでした。
条件を満たした上でフェスに出演した訳ですが、リッチーブラックモアは、終始不機嫌だったようで、テレビカメラにギターを叩きつけたりしていました。
予めダミーのアンプに火薬を仕込んで、演奏の最中に爆破させましたが、その火薬の量が多すぎて、イアン・ペイスのメガネが吹っ飛んだ等の話もしていました。
これらの映像も放送されました。
RAINBOWの結成と終焉
リッチーブラックモアは、グレン・ヒューズのファンキーなベースについて否定はしていませんでしたが、バンド全体がファンキーな方向に行くのが嫌だったようで、インタビューでは「その方向は、俺じゃない、俺はブルース ロックだ」と語っていました。
雑誌等では、メンバーに「Black Sheep Of The Family」をやろうと言って拒否されたことがDEEP PURPLE脱退の原因との情報が載っていたりしますが、そのことについては触れていませんでした。
RAINBOWという名称は、ウェストハリウッドの有名なロックロールバー&グリルにちなんで名づけられたということがナレーションで紹介されました。
リッチーブラックモアによるロニー・ジェームス・ディオとコージー・パウエルの出会いの好印象の話に続いて、緊張感のあるライブシーンが映し出されました。
コージーパウエルとの思い出について、リッチーは以下のようなことを話していました。
そして、ロニー・ジェームス・ディオをクビにした理由を語りました。
それと、雑誌の表紙にリッチーばかりが出ているのはおかしい、何故ロニーは出ないのかというロニーの彼女の吹込みにより、ロニーがリッチーに「俺とコージーはお前の引き立て役じゃない」といったことに対し、リッチーブラックモアは、「バカバカしくなって、こいつとはやってられない、俺の人生から消えてくれと思った」と語っていました。
次にリッチーブラックモアの気性の荒さについて、ブライアン・メイがそういった現場を見た事、オーストリアのライブで警備員を蹴って顎の骨を砕いてしまい、4日間拘留された話になりました。
その後、グラハム・ボネットの話になるわけですが、ここではグラハム・ボネットとリッチーブラックモアが同じことについて語っています。
それは髪型のこと。
「僕がRAINBOWに入ることは皆100%賛成だったが、僕の髪型については100%反対だった」(グラハム・ボネット)
「モンスターズ・オブ・ロックの時、グラハムの襟足を見たら刈り上げていて腹が立ち、ギターで殴ってやろうと思った」(リッチーブラックモア)
コージー・パウエルはポップな方向に進んでいくのを嫌がり脱退したようなことがナレーションで流れましたが、ABBAが好きでも、自身が演奏する曲は、ポップなものをやりたくなかったんですね。
グラハム・ボネットの話によると、クビになったのではなく、自ら辞めたようです。
その理由は、曲作りが思うように進まず、出来ていたのは「アイ・サレンダー」のみで、リッチーブラックモアがリハーサルに顔を出さないことが頻繁になってきたかららしいです。
でも、その1か月後ぐらいに「自分は素晴らしいものを捨ててしまった。またリッチーに会いたい。リッチーは全く知らなかったハードロックというものを教えてくれた先生だった。」と語っていました。
最後にジョーリン・ターナーとの話。
リッチーブラックモアとジョーリン・ターナーの話を聞いていると、この時期がRAINBOWとして一番充実していた時期のようでした。
リッチーブラックモアの根底に流れる「Greensleeves」のような美しくも悲し気なメロディーが随所にちりばめられた「BENT OUT OF SHAPE」に収録されている「Street of dreams」は、究極のRAINBOWの曲であるとリッチーブラックモア自ら語っていました。
第3部
ここでは、DEEP PURPLE再結成、キャンディス・ナイトとの出会い、ブラックモアズ・ナイトの活躍について語られていますが、やはり印象的だったのは、この頃のDEEP PURPULEは、リッチーブラックモアにとってビジネス的な存在であったこと、そういった関りの中で大きなストレスを抱えていたことといった内容の部分でした。
RAINBOWが好調の波に乗っている中、リッチーブラックモアはビジネス的観点からDEEP PURPLE再結成に向けて動き出すことになったと話していますが、RAINBOWのボーカリストであるジョーリン・ターナーは、自分のソロアルバムのリリースも決まっていたし、この件に関しては何の抵抗もせず、また一緒にやろうとリッチーブラックモアと約束をして別れたと語っていました。
再結成後のDEEP PURPLEについて、リッチーブラックモアは、度重なるイアン・ギランとの確執や、終いにはスパゲティをイアン・ギランの顔に押し付けたこと、ジョーリン・ターナーを迎え入れた経緯などを語っていました。
ジョーリン・ターナーは、再びイアン・ギランをDEEP PURPLEに戻す動きについて、「この時は脱退と解雇が同時に様な感じだったが、かなりのフラストレーションだった」と語っていました。
伊藤&広瀬さんの話の中で、広瀬さんがかつてRAINBOW再結成の噂があった時、ロニー・ジェイムス・ディオと食事をしながらその件について聞いたところ、そういう流れはあるが、リッチーブラックモアがイマイチ乗り気でない、リッチーブラックモアは意外にもドラムはコージー・パウエルでなければならないとは思っていなかったと話していました。
そして、RAINBOWのボーカルがドゥギー・ホワイトやロニー・ロメロになった経緯について、リッチーブラックモアの妻であるキャンディス・ナイトの助言も大きく影響していたことなども話していました。
まとめ
番組全体を通して思ったことは、DEEP PURPLEやRAINBOW時代は、自分の理想とする音楽を追求しながらも、バンドを如何に商業的に成功させることができるのかということをリッチーブラックモアは常に考えていたということと、リッチーブラックモアの根底に流れているのは、やはり美しいメロディーなんだろうなということでした。
この番組を見逃してしまった方でも、文頭でお話しした通り、既に発売されているDVD「ザ・リッチー・ブラックモア・ストーリー」で本編は見ることが出来ると思います。
再放送されることを期待していますが、それを待てない方はDVD、またはBlu-rayにて、その内容を確かめてみてください。