今回は、オフコースのインタビューを中心とした「Three and Two」という本の概要について書いてみたいと思います。
この「Three and Two」という本は、オフコースが5人体制になって「Three and Two」というアルバムをリリースした直後に発売された1979年10月30日)ものです。
私はこの本は初見で、全く知らなかった話や、それまで大まかにしか知らなかったことについて事細かに書いてありました。
オフコースが「さよなら」で爆発的にヒットする直前の全メンバーのインタビュー記事には熱気があふれ、歯に衣着せぬ赤裸々な発言に読んでいてハッとさせられました。
オフコース書籍「Three and Two」レビュー
この本は、約240ページで、以下のような全5章から成っています。
- Part1 パーフェクト・インタビュー(小田・鈴木)
- Part2 パーフェクト・インタビュー(清水・大間・松尾)
- Part3 対談(小田・鈴木・山本(ハイファイセット))
- Part4 全メンバーによる座談会
- Part5 レコードから見たオフコース・ヒストリー
本の所々には、ツアーの様子を中心とした5人体制になってからのオフコースの写真が載っています。
パーフェクト・インタビュー(Part1,Part3)
基本的には、どのメンバーに対しても、同じような質問がされています。
大まかには、子どもの頃の話、恋愛について、音楽についてといった内容ですが、各メンバーはこれらの質問に対して、かなり詳しく答えています。
メンバーごとに、印象的だった部分を箇条書きにしておきます。
小田和正
- 小学生の頃、バイオリンを習い始めた&辞めてしまった理由は…
- 中高生の最大の思い出は野球部での活動 キャプテンになってしまい…
- 音楽活動の初めは、ヤスたちとのコーラスグループで…
- 大学は医学部を受験するつもりだったが…
- デビュー当時はメッセージ色の強い時代で、自分たちのやる「愛がどうのこうの」という歌は全く受けなかった
- ヤスとケンカしてオフコースを解散しようかなんて言ったこともあったけど…
- 恋愛には縁遠かったが、喧嘩していなかったら結婚していたかもしれない女性が…
- 映画が好きなので映画を作ってみたい
- 映画「銀河鉄道999」の音楽の依頼があって、悩んだ挙句やろうという気になったが…
鈴木康博
- 子どもの頃はいつも1人で遊んでいて鉄道好きだった
- 親が熱心で小学校入学の時から受験の洗礼を受けていた
- 音楽の道へ進もうと思っていなかったのにヤマハライトミュージックコンテスト(以下LMC)に出た訳は…
- 制御工学科に入り、就職は安川電機に決まっていたが…
- 合コンなどは嫌いで、所属するサークルのダンパには顔を出していたが、自分の性分としては…
- 一度だけ電車の中で女の子に声をかけてみたら…
- 何をやるにしても感情のおもむくままという感じではなく、頭で考えて…
- 結婚のきっかけは、杉田二郎さんと一緒のリサイタルで…
- 日本のレコード会社へ不満、アメリカ進出への野望
- 生きる上で一番大切なこと、それは…
清水仁
- 小学生の頃から学校さぼってケンカして…
- 高校をやめてエレキギターを買い、リッキーと知り合ってバッド・ボーイズへ
- ディスコでバンド活動をしていたが、生活はハチャメチャで…
- オフコースは自分の人生の流れの中の一つにすぎず…
大間ジロー
- 家は繁盛している料理屋で何不自由ない生活だったが、父が他界してから…
- 初恋の相手は小2の時で、相手は…(実名あり)
- ドラムのきっかけは、小5の時の鼓笛隊
- タイガース好きからレッドツェッペリンへ…
- 高3の時のイベントで松尾と知り合い…
- 「ザ・チャレンジ」というテレビ番組で優勝しロンドンへ行ったが…
- ジャネット解散後、アルバイトをしている時にディレクターの武藤さんにオフコースのレコーディングにスティック持って遊びに来いと言われ…
- オフコースに加入した頃、ドラムは小さく叩かないといけないと思っていたが…
松尾一彦
- 子どもの頃は悪ガキで、大人しくさせようとピアノを習わされたが…
- 中学でブラスバンド部に入りサックスをやっていた
- 高校の時、ストマックというバンドを組み、解散後ジャネットを結成
- ジャネットは売れず、スポーツ刈りにするという番組の企画に出ないかと言われ…
- 作曲好きで小5の時から作曲していた
- 作曲と演奏どちらが好きかと言われると…
- 好きなタイプは岩崎宏美とか…
Part1の後に、小田・鈴木の最初の出会いからオフコースとしてデビューするまでの小説が10ページほど書いてあります。
インタビュー記事よりも、こちらの小説の方が2人の様子を把握し易いです。
Part3 小田・鈴木・山本(ハイファイセット)の対談
ここでは、LMCでのオフコースと赤い鳥のお互いの印象や、あの時はああだったこうだった等の話をしています。
- オフコースと赤い鳥のジョイントコンサートの話
- 東海林修に気に入られNHK「スタジオ101」のレギュラーに誘われた時の話
- 鈴木の結婚式の時に「卒業写真」を歌った話
その他、小田さんの「眠れぬ夜」は好きじゃなかった、プロになっても日本の音楽界では新しいことをやれる気がしなかったなどの興味深い発言も多々書いてあります。
まだ大ヒットを放っていないオフコースの小田さんが「アメリカの様にシングルでなくアルバムでいきなりヒットさせたい」「アルバム売上20万枚とかの中途半端な金は掴みたくない!いきなり100万枚アルバムを売りたい」などの理想論を展開する中、ハイファイセットの山本さんが呆れて笑いながら叱咤する場面もありました。
Part4 全メンバーによる座談会
ここでは、清水・大間・松尾の3人が加わる過程等が詳しく書かれています。
以下に各メンバーが語ったことの中で印象的だった部分を書いておきます。
小田和正
- 東芝のプロデューサー武藤さんから、ジャネット解散後の松尾の作ったデモを聴かされ、しゃれた曲をやってるやつだなと思った
- 3人が加入することに関して、初めはヤス以外のボーカルが入ることに生理的な拒否反応があったが、オリジナル以外の曲を試しにやってみたところ、意外にうまくいったので、オリジナルでも大丈夫だと思った
- オフコースの終わる時のイメージはいつもある。終わる時はそれぞれが今以上のすごい存在になって、みんなに認められる状態で終わりたいと思っている。
鈴木康博
仁の加入は反対だった。それまで手伝ってくれていた良司の方がテクニックがあったため。
ただ、小田が仁のような人柄の人間が必要だと引き下がらないので、まあいいかという事になった。
松尾一彦
初めてのオフコースの仕事は「めぐる季節」という曲のハーモニカだった。
清水仁
松尾は最後に入って来て、バイト扱いだった。
大間ジロー
- 武藤さんにオフコースのレコーディングにスティック持って遊びに来いと言われ行ってみたら、いきなり「あなたの残したものは」という曲のレコーディングをさせられ、どう叩いて良いのか分からずヤッさんに聞いたところ、すごく親切に教えてくれた
- 武藤さんとスナックに行くとオフコースの曲をよくリクエストしていたが、正直、「雨の降る日に」「老人のつぶやき」「愛の唄」などは好きじゃなかった
この座談会の中で面白かったのは、後から加入した3人の小田・鈴木両人の初対面の印象で、鈴木さんに関しては全員がいい人という印象を持っていたのに対し、小田さんに対しては松尾さんを除き、かなり印象が悪かったようです。
特に清水さんは、小田さんのあまりの無礼な振る舞いに一発殴ってやろうかと思ったそうです。
Part5 レコードから見たオフコース・ヒストリー
ここでは、東芝のプロデューサーとしてオフコースに関わっていた武藤さんによる、各LP収録曲に関する話が書いてあります。
小田さんが作ったバラード調の「眠れぬ夜」を武藤さんの意見でポップな感じにしてしまったこと、「セレクション」というベストアルバムの発売を持ち掛けた時、小田さんに「レコード会社的な発想だな!」と言われ少々抵抗されたことなど逸話が満載です。
まとめ
この「Three and Two」という本を読むと、メンバーそれぞれのオフコースに対する姿勢というものが分かります。
一番面白いのは、やはり小田さんの話で、その語り口調や、やや現実にそぐわない理想論を聞いているとハイファイセットの山本さんの様に、所々突っ込みを入れたくなります(^-^;
中古で入手できる機会があったら是非読んでみてください。とっても面白いですよ!
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