時々、80年代アイドルは歌が上手いという言葉を見聞きしますが、私は80年代アイドルの歌をリアルタイムで聴いていて、あんまりそう思ったことはありません。
このように思われる方の比較対象が平成グループアイドルだからだと思いますが、私の世代で歌唱力という点において比較するなら、尾崎紀世彦さん、布施明さん、美空ひばりさん、八神純子さん、岩崎宏美さんといった類まれなる才能を持った歌手の方々だったので、当時はアイドルに関して「あのアイドルは歌が上手い!」なんていう話題は、そもそもほとんど出ませんでした。
振り返ってみると、人気のあったアイドルは歌唱力があったアイドルというより、声、歌い方、細かい仕草に強いキャラが立っていて、見る者にカッコいい・かわいいという印象を強く与えたアイドルだったような気がします。
そんな中でも、80年代アイドルでデビュー曲から歌が上手いなと個人的に感じた方は数名程度います。
岩崎良美さん、沢田富美子さん、桑田靖子さん、本田美奈子さんなど…
歌が上手い・歌唱力があるという定義を、常に音程やリズムが正確で安定している、楽曲に対する表現力(多面的な声色・表情・ビブラートなどのテクニック)、音域の広さ、筋力のある体から生み出される声量とするなら、80年代アイドルの中で一番歌唱力が高かったのは、本田美奈子さんだったように思います。
特にミュージカル進出後の本田美奈子さんの歌唱力は、既に定評のあったアイドル時代の歌唱力をさらに越える完成度の高さで、急性骨髄性白血病により38歳という若さでこの世を去ったことが惜しまれます。
私は本田美奈子さんが育った町 朝霞市に住んでいます。
朝霞市には、本田美奈子さんのお墓、記念碑、本田美奈子.ミュージアムがあり、何かと本田美奈子さんに勇気を与えられることが多いです。
今回は、当時から現在までの本田美奈子さんの印象や、本田美奈子さんの歌の力について個人的に感じたことなどを書いてみたいと思います。
なお、本田美奈子さんの表記は「.」を省略しますのでご了承ください。
歌と共に生きた本田美奈子の人生
アイドル時代の印象
何の番組だったかは忘れましたが、休日の昼間に放送されていたバラエティ番組の歌のコーナーで、初めて本田美奈子さんのデビュー曲「殺意のバカンス」を聴き、アイドルのデビュー曲としては珍しいダークでカッコいい曲調と、それを完璧に歌いこなす歌唱力に、「凄いアイドルが出てきたな!」と感心して見ていました。
でも、次の曲が「好きと言いなさい」という王道アイドルポップソングになり、ちょっと「?」。
アイドルは、デビューからしばらくは、同じような曲調のシングルをリリースし、ある程度のイメージを付けるといった傾向にありましたが、セカンドから曲調に変化があり過ぎて、「一体この子はどんなアイドル歌手になって行くんだろう?」と思っていました。
3rdシングル「青い週末」に関しては全く記憶にありません。
次の「Temptation(誘惑)」は、デビュー曲のような路線の曲になり、「この子は歌が上手いんだから、こういう路線がいいね!」と感じていましたが、5thシングル「1986年のマリリン」からアダルトな感じに、その後はロック路線になったかと思いきや、「Oneway Genetation」のようなポップソングを歌ったりと、アイドル歌手としての路線は、今一つ捉えどころのない印象がありました。
本田美奈子さん自身のキャラクターも独特のものがあり、可愛らしい話し方をする反面、「自分はアイドルじゃなくアーティスト」みたいな周囲から生意気と思われるような言動があり、賛否両論なアイドルだった印象があります。
個人的には、歌が上手くゲイリームーアとコラボしたりとカッコいい曲を聴かせてくれるので曲は好きでしたが、本田美奈子さんという個人に対しては、上記のような言動や子どもが背伸びをしてアダルトな曲を歌っている雰囲気、歌詞の語尾で「ウワッ」という吐息のような息の漏らす歌い方などから、正直なところ、あまり好感を持っていませんでした。
当時はアイドル歌手が量産され、次から次へとアイドルの人気はバトンタッチされていったため、本田美奈子さんについては「Oneway Generation」以降の楽曲は知らないという方も多いのではないかと思います。
私もその一人でした…
アーティスト本田美奈子に出会って
アイドルブームが去った後、音楽業界はバンドブーム、小室ファミリーブームと様変わりして行きました。
本田美奈子さんのその後の活動については、テレビや雑誌のインタビュー等で何となく知っていましたが、個人的にクラシックやミュージカルには興味が無かったので、本田美奈子さんの歌声に触れる機会は、ほとんどなかったように記憶しています。
本田美奈子さんがクラシック路線を模索している辺りの年に、私は本田美奈子さんの育った朝霞市に引っ越してきました。
その時は、本田美奈子さんの実家はこの町にあるんだなとか、本田美奈子さんが亡くなった時も、志半ばで天に召されて可哀そうに…ぐらいのことしか思っていませんでした。
私が朝霞市に引っ越してきてから本田美奈子さんを再び意識するようになったのは没後で、本田美奈子さんが亡くなってから、朝霞駅バスロータリーにある記念碑、白血病や難病の方々を支援する美奈子基金、それに伴うコンサート等のイベント告知など、本田美奈子さんに関する情報をよく見聞きするようになりました。
地元の図書館も本田美奈子さんの地元だけあって、本田美奈子さんのCDがたくさん置いてあり、何となく気になって自分が知らなかった楽曲が収録されているCDを借りて聴いてみました。
「ら・ら・ば・い~優しく抱かせて~」「風の歌」「つばさ」「ニュー・シネマ・パラダイス」「アヴェ・マリア」等の楽曲を聴いて、本田美奈子さんのさらに進化した歌唱力に驚きました。
3オクターブにも及ぶ声域があるようですが、何とか出ているという程度のモノではなく、きっちりとその声域の音は出ており、地声とファルセットのシームレスな繋がり、地声と同じぐらい力強いファルセット、鍛えられた腹筋と背筋から繰り出される超ロングトーン、歌の情景が目の前にリアルに浮かび上がってくるような高い表現力….
特に「つばさ」の間奏直前から繰り出される力強い超ロングトーンは、80年代アイドルで再現出来る人は一人もいないと思います。
ミュージカル進出後の本田美奈子さんの生歌は、CDよりも表現力豊かで、歌のテクニックがどうこうという次元を超えた感動が押し寄せてきます。
極めつけは、ラストアルバムである「ラスト・コンサート」。
これは本田美奈子さんが病室にてアカペラで歌ったものをボイスレコーダーで録音したCDで、これまでの本田美奈子さんの経緯を知らない方が聴くと、つまらないと思われるかもしれません。
ただ、歌で人を感動させたいという思いをアイドルデビュー時から持ち続け、様々なジャンルの音楽に挑戦し、「ミス・サイゴン」の事故からの復帰、白血病と戦いながら歌い続けた本田美奈子さんを思いながら聴くと、死が近くまで迫って来ているかもしれないのに、落胆しない希望に満ち溢れたその歌声に感涙してしまいます。
こういった私がこれまで聴いてこなかった本田美奈子さんの楽曲を聴くようになってから、時々、本田美奈子さんのお墓参りに行くようになりました。
淡いピンク色をまぶした墓石の前に立つと、笑顔で楽しそうに歌っている本田美奈子さんの様子が浮かんできます。
本田美奈子さんの生きざまを見ていると、仮に明日死ぬと分かっていても自分の信じた道に向かって精進することが楽しくて仕方ないという雰囲気がありありと伝わってきます。
本田美奈子さんの曲を聴いたり、お墓参りをすると、そういった本田美奈子さんの絶望に屈しない強い生命力を常に感じ、自分の思考も自然とポジティブになれます。
最近では同市に本田美奈子ミュージアムが設立され、より本田美奈子さんに触れることの出来る機会が多くなりました。
まとめ
朝霞市に住んでいると、本田美奈子さんが朝霞市を愛し、朝霞市も本田美奈子さんを愛していることがよく分かります。
機会があったら是非朝霞市に足を運んでいただいて、本田美奈子さんの息吹に触れてみてください。
最後までポジティブに生きた本田美奈子さんからたくさんの勇気と希望を与えられると思います。