↑ 北斗晶のつもり ↑
皆さん、こんにちは。昭和40年代生まれのまちろです。
丸坊主の女性と言うと誰を思い浮かべます?
若い世代の方は、AKB48の峯岸みなみさんかもしれませんが、私はジャガー横田…
ニンニン カナ坊の〇〇コーナー!なんていう全日本女子プロレスのバラエティーコーナーも何となく覚えています。
ということで、今回は脳裏に焼き付いている女子プロレスの話。
私は初代タイガーマスク辺りからプロレスにハマり、それ以来、団体問わずテレビ中継をみたり、週刊プロレスやゴングを買ったりしていました。
当初は、女子プロレスを積極的に見ていた訳ではありませんでしたが、ある時期、男子プロレスよりもハマって熱狂していたことも。
人気レスラー交代、80年代アイドルを凌ぐほど人気だったクラッシュ・ギャルズ、ジャパン女子プロレスとキューティー鈴木、単純なベビーフェイスvsヒールという女子プロレスの常識を壊した北斗晶、女子プロレスラー最強と言われた神取忍…
以下で、記憶に残るレスラー、女子プロレスを見ていて思ったことなどについて書いていきます。
皆さんは、女子プロレスのどんなシーン・レスラーが記憶に残っているでしょうか?
本文では敬称を省略します。
【昭和】女子プロレスの歴史変遷と黄金期の女子プロレスラーを見て思ったこと
記憶に残る女子プロレスラー
私の記憶の中で最も古い女子プロレスラーは、マッハ文朱。
うちの母親がマッハ文朱のことを「マッハぶんしゅ」って言っていたので、私も子どもの頃は「ふみあけ」でなく「ぶんしゅ」だと思っていました💦
でも、マッハ文朱をリングで見た記憶はなく、他のテレビ番組だったと思います。
リングで見たおぼろげな記憶があるのは、ビューティ・ペア。
私はどちらかというとプロレスでビューティ・ペアを知ったというよりは、「かけめぐる青春」を歌番組で歌っているのを見て、何か面白そうだなって思ってプロレスも見たって感じだったと思います。どちらかというと、マキ上田の方が好きでした。
強烈な印象が残っているのは、ジャガー横田の髪切りマッチ。
具体的な試合は覚えていませんが、ジャガー横田が試合に負けて坊主頭になったシーンはよく覚えています。
髪は女の命なんて言われていた時代だったので、女の人の丸坊主姿は小学生の私にとって衝撃的でした。
このジャガー横田が活躍している辺りから、よく女子プロレスも見るようになって、この時に一番好きだったレスラーは、ミミ萩原。
何か髪を引っ張られて痛めつけられている印象しかありませんが、セクシー美人がやられている姿を見て、何だか興奮してしまいました。
その次は、クラッシュ・ギャルズ。物凄い人気でしたね。
女子プロレスの人気ペアは、大体男役と女役みたいな組み合わせで、ヒールと戦うといった感じでしたが、クラッシュ・ギャルズは、その集大成みたいな印象でした。
クラッシュ・ギャルズ辺りからのメジャーだったレスラーは、大体覚えています。
ダンプ松本、ブル中野、アジャコングといったヒール(悪役)レスラーもインパクトがありましたが、この頃一番好きだったのは、ジャパン女子プロレスのキューティー鈴木。
だって、アイドル並みのメチャかわルックスだったから!
ミミ萩原さんのように相手にやられるシーンがたまらなく好きでした(*´▽`*)
団体対抗戦の時代になると、注目していたのは、神取忍、北斗晶、豊田真奈美、ダイナマイト関西、工藤めぐみ、尾崎魔弓などなど。
この選手たちは、根性とテクニックといった心技体のバランスが取れていて、試合を見ていて興奮したものでした。
この頃は、女子プロレスラー最強は誰なのかという男子プロレスと同じ目線で見ていましたが、工藤めぐみのことをかわいいな~って思って「くどめ」って呼んでたり、プラム麻里子やキャンディー奥津なんかにも注目してました(*^▽^*)
女子プロレスの歴史変遷を見て思っていたこと
女子プロレスを初めてテレビで見たのは小学生の頃で、きっと男子のプロレスよりも先に見たと思います。
この時は、
コノヤロ~!!
なんて選手が叫びながら髪の毛を引っ張ったりして試合をしているのを見て、ヒステリーな女の人のケンカみたいな印象を持っていました。
その一方で、ビューティ・ペアのような選手を見ると、
格闘技の宝塚
なんて雰囲気も感じていました。
クラッシュ・ギャルズ辺りまでは、ヒール(悪役)とベビーフェイス(善玉)という分かりやすい図式が柱にあって、ある意味、中途半端に最強を謳う新日本プロレスより路線が明確で、ファンが付きやすかったんじゃないかなと思います。
美しく華やかで強い(自立した)女性
こんなイメージが先程お話しした宝塚と重なる部分があって、女性ファンが熱狂したのも理解できました。
こういった既定路線が変わっていったのは団体対抗戦辺りから。
女子プロレス最強は誰か?
こんな部分に大きな注目が集まり、男子プロレスで中々実現しない対抗戦に業を煮やした男性プロレスファンも女子プロレスに大きな関心を持ったことと思います。
女子プロレスラーの使う技は、男子プロレスラーの技をマネするなんてパターンもよくありましたが、この辺りから各選手にオリジナルフィニッシュホールドなんかが目立つようになってきたような気がします。
そして、男子を超える危険な技も目立つようになりました。
この女子プロレス団体対抗戦の前に、新日本プロレスと全日本プロレスの対抗戦が東京ドームでありましたが、これは対抗戦というより交流戦といったお祭りみたいなものだったので、やはり女子プロレスの団体対抗戦の方が、男性女性といったプロレスファンの垣根を取っ払い、ファンの望みを叶えた最初の対抗戦と言えるでしょう。
私も女子プロレスの団体対抗戦が始まる序章から1993年の横浜アリーナ、翌年の東京ドーム大会など、男子プロレスそっちのけで注目し、その体力と精神力の限界まで戦う姿勢に興奮し感動したものでした。
団体対抗戦と工藤めぐみ・北斗晶・神取忍
神取忍の出現が女子プロレスの見方を変えた
女子プロレスの見方が変わったのは、1986年に旗揚げしたジャパン女子プロレスの神取忍さんの存在を知ってから。
当時、週刊プロレスや週間ゴングといったプロレス雑誌は毎週読んでいたので、女子プロレスの動向も目に入っていました。
柔道〇〇大会〇連覇した神取忍がプロレスに転向、最強…
そんなような言葉が書いてあったような気がします。
短髪で見るからに荒々しい感じと、プロレスラーを格下に見ているような発言があったりと何かにつけて話題になっていました。
週刊プロレスかゴングだったか忘れてしまいましたが、極めつけはジャッキー佐藤との試合。
顔面の腫れ上がったジャッキー佐藤の写真がデカデカと紙面に載っていたのを覚えています。
神取忍って強え~!凄っ!!
それ以来、男子プロレスと同じような目線で女子プロレスにも興味を持つようになり、全日本女子プロレスのトップレスラーとバチバチやって、その実力を見せつけて欲しいなんて思っていました。
団体対抗戦の契機はFMW
先程、乱立していた女子プロレスの団体対抗戦について書きましたが、その契機になったのは、FMWの女子プロレスラー達の行動。
シャーク土屋とクラッシャー前泊が、全日本女子プロレスに果たし状を持って行ったのを切っ掛けにFMWの会場にて、ブル中野&北斗晶(全日本女子プロレス) vs 工藤めぐみ&コンバット豊田(FMW)のカードが実現。
ここで一気に注目を集めたのが、美貌と強さを兼ね備えたFMWのエース 工藤めぐみ。
全日本女子プロレスの選手は、激しく相手を罵倒するような発言をするのに対し、工藤めぐみは普通のOLみたいに淡々とインタビューに答えるので、そんな様子も気に食わない全日本女子プロレスの井上貴子なんかは、「工藤めぐみにはプロレスに対する熱さを感じない」みたいなことを言っていました。
でも、工藤めぐみは余計なことで虚勢を張らないだけで、その試合は激熱!
工藤めぐみは、もともと全日本女子プロレスの選手で、同期はアジャ・コング。
この団体対抗戦で、工藤めぐみ vs アジャ・コングのシングルマッチが実現し、お互いにその実力やここに至るまでの過程を尊重し合う姿に涙ポロポロでした。
北斗晶 vs 神取忍を見て思ったこと
この団体対抗戦で一番印象に残っているのは、1993年横浜アリーナで行われた北斗晶と神取忍のシングルマッチ。
ガチンコもいとわない女子プロレス最強の神取忍と、自分の体がぶっ壊れても絶対にギブアップしない北斗晶。
神取忍が北斗晶をどこまでボコボコにするのか…
そんな感じで、神取最強神話を信じてやまない私は興奮してこの試合を見ていました。
しかし、結果は北斗晶のホール勝ち。
これで私の神取最強神話を崩れましたが、肩が外れてもリングに上がり、何度叩きのめされても立ち上がる北斗晶の強い精神力に感動し、結局プロレスって根性のあるやつが一番強いんだなって思うようになりました。
まとめ:女子プロレスの魅力
女子プロレスって色々な見方が出来て、とっても楽しい格闘エンターテイメントだと思います。
レフリーまでヒールレスラーと共闘してベビーフェイスを痛めつけたり、一方では試合開始から試合終了までずっとクライマックスのような動きをする無尽蔵のスタミナと何度もフォールを跳ね返すド根性を見せてくれたり。
当時、究極のド根性で試合をする女子プロレラーを見て、
自分が遭遇している苦境なんかこの人たちに比べたら大したことない、頑張ろう!
と勇気づけられました。
元始、女性は太陽であった…女性は強い!根性あって素晴らしい!感動(^_-)-☆オシマイ