先日(6月23日)は、南野陽子さんのデビュー35周年でした。誕生日も同じ日。
南野陽子さんのフェイスブックでは、35周年のお祝いに感謝している様子が載っていました。
私は昭和40年代生まれで、リアルタイムで南野陽子さんを見ていました。でも、当時は南野陽子さんのファンだったワケでもなく、気に入った曲があったら聴くという程度。曲は「秋からもそばにいて」がメッチャ好きでした。
今では、南野陽子さんの楽曲はもちろんのこと、人としても大好きで尊敬しています。
今回は、どうして南野陽子さんのことが大好きになったのか、当時のことも振り返りながら話してみたいと思います。
南野陽子を大好きになったワケ
80年代アイドルソングとの関わり方
私が小学生の頃は歌謡曲に夢中で、中学生になってからはフォークギターやエレキギターを始めるようになり、オフコース、アルフィー、村下孝蔵さん、松山千春さんとかギターで弾き語れるような曲、ニューミュージックが音楽鑑賞の中心になっていきました。
1980年からアイドルブームがやってきて、たくさんのアイドルソングが放出され、シングル曲を聴くので手一杯でお腹一杯。
そんな感じだったので、アイドルのアルバムは、余程の事がない限り買ったりしませんでした。ただ、当時は河合奈保子さんにゾッコンだったので、奈保子ちゃんのレコードだけは予約して全部買ってましたけど、あとアイドルのアルバムで買ったのは、岩井小百合さん、斉藤由貴さん、岡田有希子さんぐらいだったかな…
とにかく、アイドルソングは追ったらキリがないぐらいの物凄い量だったので、アイドルソングに関しては、ラジオの歌謡曲ランキング番組でエアチェックするか、貸しレコードでレンタルするか、友達に借りるかって感じでした。たまに誰も買ってなくて超気に入ったシングルレコードを買う程度。
80年代後半は、アイドルのレコード一枚も買わなかったかもしれない…河合奈保子さんを除く。
あと、アイドルのアルバムは、買ったりレンタルしても、カセットテープに録音する時と+αぐらいしか聴いてなかったかも。それは、初めにお話しした通り、ギターで弾き語りしたくなるような曲ばかり聴いていたからかもしれません。
というわけで、当時、南野陽子さんのシングル・アルバム共に1枚も買ったことはありませんでした。
南野陽子の当時の印象
南野陽子さんについては、学校帰りの最寄りの駅の本屋さんで、よく雑誌を立ち読みしていたので、少年マガジンのグラビアとかで見て知っていましたし、斉藤由貴さんの頃から、北斗の拳~スケバン刑事という流れでテレビを見ていたので、他のアイドルよりは目に入ってきました。
スケバン刑事Ⅱを見た時、
鉄仮面?おまんら?おニャン子?
って感じで、どうしても斉藤由貴さんのスケバン刑事と比べてしまって、スケバン刑事熱も徐々にフェードアウト。浅香唯さんのⅢは、たまに見るっていう感じになって行きました。
その他の量産されたアイドルドラマは、あんまり興味が無くて見てませんでしたが、「とんねるずのみなさんのおかげです」でドラマのパロディをやったりした時は、それの元を知りたくて、本物のドラマをチョロッと見たことはあります。
スケバン刑事の南野陽子さんは、一生懸命役を演じているって感じで、特別どうのこうのっていうのはありませんでしたが、印象に残っているとすれば、歌番組。
ザ・ベストテンなどでは、笑顔より、緊張して真顔のシーンの方が目に浮かんできます。
人前で歌ったこともないし、そんなに歌がウマいわけでもないのに、歌番組で歌うなんて…
後に南野陽子さんはそんなことを語っていましたが、分かりますよね、その気持ち。
デザイアァァァァ、マリリーーン~~( `ー´)ノ
なんて迫力満点の歌手が側にいると思うと、もう嫌になっちゃう。
自分の周りで覚えているのは、友達が通学路にある本屋さんで定期券サイズの南野陽子さんの写真集発売告知カードみたいなモノをたくさんもらってきて、みんなに配ってたので、それをもらって、高校生生活の間、ずっと定期入れに入れてました。コールドのビキニを着て微笑んでるやつ。
あと、いつだったかハッキリと覚えてませんが、THE ALFEEのライブチケットを取るため、雪の降る中、始発電車に乗って、池袋西武に行った時のこと。チケット買うのにどこで並べばいいのか、ウロウロしていたら、知らない人に、
南野?(´・ω・`)
って声を掛けられたのを覚えてます。きっと、その人は南野陽子さんのライブチケットを取るため、同じように並ぶ場所を探してたんでしょうね。
当時の最後の印象は、ナマイキというフレーズ。いつしか「南野陽子はナマイキ!」なんていう噂が流れて、個人的には、そういた事にあまり興味はなく、その真意や信憑性を探ろうなんて気は全くなかったので、
芸能人はそれぐらいじゃないとやっていけないだろうし…
ぐらいにしか思っていませんでした。
南野陽子のファンになったキッカケ
当時は、そんな程度で南野陽子さんのことは特別意識してませんでしたが、あることがきっかけで、南野陽子さんに興味を持つようになりました。それは、南野陽子さんの中古CDを買って聴いたこと。
今から15~20年前は、80年代アイドルCDは投げ売り状態で、多くはワゴン販売。中でも南野陽子さんのCDはどの中古店にもたくさんあって、どれも数百円程度。当時、ナンノは生意気とかバッシングされて、そういうイメージがあるから、投げ売りなのかななんて思ってワゴンの中のCDを見ていました。
で、何となく懐かしくなって、安かったし、何枚かまとめて買って聴いてみたところ、自分の琴線に触れまくりの名曲ぞろいでビックリ!
当時、「アイドルのアルバムなんて…」という思いがどこかにあったんですけど、南野陽子さんのアルバムを聴いて、その偏見が吹っ飛びました。
それで、残りのアルバムも全部買いました。どれも名盤。
神様、こんな素晴らしい曲に会わせてくれてありがとう(*´▽`*)
マジで、そんなことを心の中でつぶやきながら、南野陽子さんのアルバムを聴いては感動していました。
どのアルバムの曲も、ゴージャスでエレガントなのに仰々しくなく、普通のアイドルソングのようにキラキラし過ぎてもいない。アイドルのアルバムを聴いているというよりは、杏里さんの「オリビアを聴きながら」、八神純子さんの「目覚めたときに(みずいろの雨のB面)」とか、そんなシンガーソングライターの曲、ニューミュージックを聴いている感覚に似ています。
メロディーだけでなく、打ち込み・生演奏のバランスが取れたアレンジによる部分も大きいと思いますが、そこからは、流行で終わらせない極上のポップスを作ろうっていうプロジェクトチームの強い意気込みを感じます。
デビューから長年南野陽子さんに関わってきたアレンジャー(編曲者)の萩田光雄さんは、「ヒット曲の料理人」というエッセイ本で、
南野陽子との仕事は1番楽しかった!
と言っているので、そういう南野陽子さん本人も含めたチームの心地よさが萩田光雄というアレンジャーに最高の仕事をさせたのかもしれません。
あと、南野陽子のノンブブラート歌唱も、このサウンドにベストマッチで、スカーッと伸びる声と言葉のキレが妙に気持ちいい。変に情熱的な歌い方をするわけでもないので、メロディーラインや歌詞がハッキリと分かるというのも個性的で魅力のポイントです。
南野陽子さんののアルバムは、どれも名盤、ハズレなしという印象で、どういうことかというと、どのアルバムもかわいい・ノリ良し・しっとりというバランスで構成されていて、アルバムごとに雰囲気が変わることがないクオリティも安定した構成になっているということ。
アイドルは年齢と共に大人っぽい雰囲気にムリヤリ変化させられたりするのが通常でしたが、南野陽子さんの場合は、ファーストアルバムから年齢や時代に左右されない普遍性があります。
南野陽子という人を大好きになったワケ
私は、どちらかと言うと興味があるのは音楽の方で、人にはあんまり興味がありません。なので、歌っている人が、スキャンダルを起こそうが犯罪者になろうが、一向に気にせず、好きな曲を聴き続けます。
岡田有希子さんが亡くなった時は、例外的に一時聴けなくなりましたが…
楽曲のみならず、南野陽子という人も大好きになったのは、南野陽子さんの本をアレコレ読んで、その生き方に感銘を受けたから。
南野陽子さんの曲を全部聴いて、一番気に入ったというか、一番私の心に刺さったのは、「ゴーシュ」というアルバムに収録されている「月夜のくしゃみ」(←試聴できます)という曲。
昔、会社に行きたくない時期があって、眠るとすぐ明日になってまた会社に行かないといけないと思うと、なかなか眠れないというか眠りたくないというか、そんな時、静かで真っ暗の中、色々余計なことを考えたり、孤独を感じたり。
そんな時に聴いた「月夜のくしゃみ」という曲が、その時の自分の心境にピッタリと合っていて、毎日繰り返しくり返し何度も聴いていると、
不安で眠れない夜を過ごしているのは自分だけじゃないんだ…
と思えて、自分なりに考えて、決断して、行動して、間違ったら、またやり直せばいい、なんていう勇気を与えられました。
ある時、「月夜のくしゃみ」という南野陽子のエッセイ本があることを知り、自分の大好きな曲のタイトルが本になっているんだから、きっと自分の心に刺さることが色々書いてあるに違いないと思って、すぐ手に入れました。
「月夜のくしゃみ」という本は、当時、ザ・テレビジョンに連載されたエッセイと個人の日記で構成されたもの。ザ・テレビジョンは創刊号から90年代前半まで毎号買っていて、捨てずにとって置いたたんですけど、この連載されたエッセイについては全く覚えてません。ビデオ録画する目的で見ていた番組表しか真剣に見ていなかったからかもしれません。
ここには、仕事の事、当時バッシングを受けた時の話など、赤裸々に書かれています。親友の本田美奈子さんもそうですが、現場で意見を言う人ってみんなナマイキって言われていたような気がします。でも、ナマイキとワガママは違うんですよね。
「月夜のくしゃみ」を読むと、どんな姿勢で南野陽子さんが仕事に向き合っていたのかよく分かります。当時のテレビ局や芸能関係の雰囲気はイケイケな感じだったから、その雰囲気に乗っかるような何でも言うことを聴く良い子ちゃんじゃないと活動しづらかったのは容易に想像出来ます。
南野陽子さんが仕事上でする自己主張は、自分の為というよりファンのためを思ってのこと。でも、そういう部分が仕事仲間からするとやりづらい、転じてナマイキという感じになったと思います。
こういった書籍や、後にバラエティ番組等で本人の口から語られる内容から、南野陽子という人は、物凄く真面目でストイックな部分と、壊れそうなガラスのハートを持ち合わせている人で、そのバランスを崩さないよう必死に自分を律してここまで頑張ってきたというのが分かります。
芸能界にアイドルとしてデビューして、現在もなお歌やドラマで第一線で活躍出来ているって、並大抵の人じゃないですよね。
私が南野陽子さんを尊敬するのは、少女時代から荒波に立ち向かってきたド根性と、自分の周りで起こっていることを常に考える姿勢。考えた答えが正解だろうが間違っていようが、そういうことは関係なくて、こうした自分の視点を持つということが大切で、その総合体が自分、アイデンティティであって、それが自分という人間がこの世に生きる価値。
南野陽子さんのおかげで、自分の生き方を見つけたような気がしました。
まとめ:南野陽子を好きになったワケ
「月夜のくしゃみ」を読んだら、ずっと疑問だった「くしゃみ」の意味もなんとなく分かったし、デビュー曲「恥ずかしすぎて」は、本当は「天使のハンカチーフ」っていう曲名だったのに、どうして「恥ずかしすぎて」に変更になったのかなど、興味深いことが沢山書かれているので、まだ読んでなかったら是非読んでみてください。
あと、写真集って買ってもほとんど見ないので、当時からまんまり買わない方だったんですけど、昨年発売された写真集「記憶×南野陽子」は、ジャケ写に釣られて買ってしまいました。このジャケ写がいいと思ったら、買いです。中身も表紙と同じようなナチュラルな南野陽子さんが映っていて、しかも超美麗フォト。
南野陽子さんはツイッター流行っていませんが、冒頭でお話しした通り、フェイスブックはやっているので、知らなかったという方は要チェックです。
35周年記念として、サプライズ企画が色々あったらいいな…なんて期待しながら、今年を過ごそうと思います。
その他、南野陽子さんについては楽曲や書籍のレビューなどもしていますので、良かったら読んでみてください。